お久しぶりです。
お久しぶりです。j_com_ondemandです。
かれこれ4年前くらいにブログを始めて、気付いた時にはやめていました。
先ほど見返して我ながら良い文書いてんなって自画自賛してからアーカイブしました。
僕がなぜ、またブログを書こうと思ったか
身の回りで「死」について考えるような出来事が立て続けに起こったからです
僕が今の会社に入社して2ヶ月ほど経った頃、営業の同期にこう言われたました
「〇〇さん、死にたいって思ったことある?OJTに言われたんだけどさ、なくない?そんな過酷なんかなあ」
僕はその時、同期と同じように死にたいって思う事は無いなあ、営業大変そうだなあーとしか思いませんでした
時は過ぎ2022年7月8日、その頃僕は仕事の都合で半年間静岡県の牧之原市に住んでいました。初めての一人暮らし、全部がよく分からずテレビなんか全く見ません。いつもiPhoneで情報収集。いつもと同じように
そんな僕の中では変わらない日常ですが、この日安倍総理が銃撃されました
もちろん会ったこともないし、特別応援していたわけでも無いけど
そのニュースを見て吐き気と医療に対する怒りを覚えたのを今でも覚えてます。真相については特に興味はありません。
ただ人間の手で、よく分からん銃で人間を撃って、人間が必死に命を繋ごうとして、叶わずに助けられませんでしたという会見を開く構図を見て、
銃弾に撃ち抜かれた傷を治すための勉強ってなんなんだ、必死に勉強してきた人間をこうも無力に思わせるのか、
同じ人間なのに撃つ人間、撃たれる人間、治す人間、なんなんだろう
事件の深いとこは知らないけど、真面目にやってきたことってなんだろう、人が人によってこの世の中から無くなるってなんだろうって考えました
2022年9月23日、静岡県に台風15号がきて町は洪水、土砂崩れ、断水、多大なる被害が出ました。
僕の家の近くに大井川鐵道っていうSLが走る線路があるのですが、その電線まで土砂が到達
母方の祖母が清水に今も住んでいて、その地域は当時1週間ほど断水していたので土日に水を届けに祖母の家まで行きました。
インターフォンを押し、いつもの様に祖母が出てきました。何か違和感を感じました。何かがおかしい、
目が黄色い
詳しく聞けば体重が減ってる、皮膚がなんとなく痒い、皮膚も黄色い
すぐに病院行かせようと祖母にすぐに病院へ行こう、きっとなんてことないよと言いました。
祖母に病院行くくらいなら死ぬと言われました。黄色いのももちろん祖母自身は知っていました。
母親には言うなって言われました。
けどとにかく死んでほしくないし、本人はまだ死というものについて深く考えられていない、祖母は周りに迷惑かけたくないとしか思っていないんだ、死にたいって本気で思ってるわけないって勝手に考えました
すぐに母親に連絡して次の日無理やり病院連れてってもらいました。
癌が見つかりました。すぐに手術しないと半年も生きれないと言われました、すぐに外科手術をして取れるだけ取って貰いました。
祖母から電話ですっかり体調良くなったし病院行って良かったと言われました。
しかし数日後、容体が悪くなり医者から癌が転移してたと聞きました。きっと全ての癌を見つけられなかったのでしょう。
もう年齢的に外科的な治療はできない、抗がん剤治療をできる限り続けましょう。
僕は直接見ていませんが、副作用に苦しむ祖母が容易に想像できます。
祖母はコロナで検診に行けてなかったのが悪い、もっと早く行ってればと言ってるけど無理矢理病院行かせて治療に向き合わせたのは僕です。
でもあの時は素人の僕がいくらか考えるより医者に見せるのがベストって思ったし間違ってはなかったと思ってます。一般人の出来ることはしたと思ってます。でも、祖母は死にたいって思ってるかもしれない。救われたくない命があるのかもって思いました。
年は明けて2023年、仕事は嫌いではありませんが流石に正月明けは体が重く仕事行きたくねえなーなんて思いながら、しっかり決まった時間に起きて会社に向かう自分がいました。
2月に新入社員研修があります。
その説明なのか、研修の2週間ほど前に集められました。
内容は同期の方が亡くなりました。自殺です。1月4日に会社に来ず所長が見に行くと自宅で倒れてました。と告げられました
入社して最初の研修の1ヶ月しか会っていませんが、その期間僕はその方とよく話しました。すごく良い人でした。ラップ好きで、夏バーベキューの幹事やるんでみんなで行きましょうよ なんて言ってくれる様な人でした。
でも真面目で、勤勉で、考え込む様なタイプにも時折見えました。
詳しいことは言えませんが、憤りを感じる事、もし仕事が原因なんだったらなんで辞めなかったんだよ、誰でも良いからなんか言ってくれれば良かったのになんでだよって思いました
でも誰かに相談できてたら自殺は選ばないよな
その視野が狭くなって何もかもがわからなくなる感覚がなんとなく、ほんの少しだけどこかで感じたかがある気がしました。
僕は何事も中途半端にやる事は大っ嫌いで、逃げるやつは恥、最後までやりきれ。そうやって生きてきたつもりです。
でもこの時はなんで逃げなかったんだよって思ったし、わかんなくなるとあるよなって思いました
ウクライナではまだロシアとの戦争が続いています。毎日の様に生きたいと思う人間が死んでいます。
この世の中には生きたいと思う人と死にたいと思う人がいて
そして、生きるか死ぬかの選択をする人がいるということがわかりました。
僕の好きな言葉に、「生きてく上での選択はその時の自分が一生懸命悩んで出した答えだから案外いい線行ってんだ」ってのがあります。
僕は結構この言葉を信じていて、あの時こうすればなって思うこともあるけど、一応当時の自分がめちゃくちゃ考えた結果の決断だから、それでいてミスする事はもちろんあるけど修正が効く気がしています。
でも
誰かに迷惑をかけないため、はたまた生きてても意味を見出せなくなったから、もしくは迷惑をかけたいから
考えて考えて、その結果死ぬ決断をしたとする
これだけは修正効かない
辛いのも苦しいのも生きてれば出てくるけど、そういう時は逃げて良いし、生き方次第では壁越える必要もないし、
例え頼れる人がいなくても、テレビ見たら、YouTube見たら、嫌なやつから隠れていればいつか良い方向に転がってくんじゃないかなって思う
心の中ではこんな事誰でもわかってるけどね
冒頭にも書きましたが、僕が死にたいって思ったとかそう会う話ではありません
でも身近な人の死を通して、死について考え
視野がガクっと狭くなって何が何だかわからなくなって、死ねば明日は来ないと思う気持ちが少しだけわかりました
やってたことが馬鹿馬鹿しくなることもあるし、もうどうでも良くなる事もあるし、考えられらにほどに辛い事、1人で生きていくには到底難しい状況に置かれる事もあるけど
人生はどのみち一度きり
僕はまだまだ先を見たいです。また、まだ楽しいことが起こる人生を終わらせてしまうような選択が少なくとも僕の周りでは起きてほしくない
これが主題です。
最後になりましたが、故人のご冥福をお祈りします。