好きなこと
おはようございます
j_com_ondemandです。
一件前の記事があまりに暗いので反省しています
今日は僕が好きなことについて話します
僕が好きな物、それは光です
突然ですが、ヘビのピット器官はご存知ですか?
確か中学の理科の教科書の注釈に書いてあったのを覚えてます
ピット器官は一部のヘビに備えられる赤外線センサです
諸説ありますが暗闇で過ごすことの多いヘビは赤外線を検知してモノを捉え、恒温動物の追跡、捕食に役立てているとされています
では、赤外線とは何か
肉を焼く時遠赤外線とかよく言いますよね?
赤外線は電磁波の一種で赤色の光より長い波長を持つ電磁波です。
↓こんな感じ
可視光(目で見える光)の赤より波長が長いから赤外線と名付けられています
この赤外線は別名熱線とも呼ばれており、温度と赤外線の量は相関しています
なので、赤外線の線量が多い≒暖かいとなるので(詳しくはステファンボルツマンの法則で検索)サーモグラフィーや耳式体温計で温度が測れるんですねー
ここで疑問が一つ
ヘビは赤外線を検知できるのに何で人は赤外線を見ることができないのでしょうか
人間が見ることのできる色には、ちゃんとした「理由」があります。
その理由は↓
太陽から飛んでくる電磁波のスペクトルを見てみましょう
縦軸が太陽から飛んでくる電磁波の強度で、横軸が電磁波の波長を表しています。
また、青色で表されてる領域が地球に降り注ぐ電磁波を表しているのですが、どうでしょうか
大体500ナノメートルから800ナノメートルに特徴を持っていませんか?
この500ナノメートルから800ナノメートルの波長の電磁波は人間の目が見ることができる可視光と呼ばれる物なのです!
やっぱり人は理にかなっているなと感嘆します。
音楽の圧縮方法の1つ「MP3」は人に聞こえる20Hzから20kHzの範囲より外の周波数帯をカットしてデータ量を減らしているのは有名な話
人間は進化、選択の過程で可視光が見える種が生き残り、ヘビは暗闇で熱を追えるピット器官を持つものが生き残ると考えると、生き物のロマンがとんでもないですね。
余談ですが太陽と言えば赤色を想像しますが、実際は色んな電磁波が飛んでくる中、写真を撮る時、もしくは撮った後に赤色だけを抽出し描画しているため、赤色になってるだけで実際は色んな色を待っています。人間がもし赤外線を見ることができる目を持っていたら太陽は何色に見えるんでしょうか、不思議ですねー、
空の色も不思議です、
昼は青、朝と夕方は太陽の周りだけが赤くて頭上は青っぽいですよね
これも光が波であることが関係しています。
可視光の中で最も波長の短いのは紫などの青系の色、最も長いのは赤系の色です。
空気中には目には見えないほどの塵、水分が舞っています。
そして、波にはこんな特性があります
波長が短かければ短いほど反射し、長ければ長いほど直進性があります。
上にも書いた通り、太陽からはたくさんの電磁波が出ています。
朝日と夕陽って自分が見える範囲で一番遠い距離に太陽がある時を指しますよね。
そうです、そう言うことです。
太陽が遠くにあるため、実際は色んな光が出てるのに直進性の強い赤色しか目まで到達しないんです。
青は塵に反射して疲れちゃいます。でも反射は青色の方が反射するので昼間は赤がかき消されて青空が広がるんですねー神秘ですね
草が緑なのも気になったことはありませんか?
草が緑なのは光合成を行うクロロフィルと呼ばれる葉緑素が関係しています。人間で言うとホクロみたいなもんで、光合成に使う光エネルギーを吸収します。クロロフィルが吸収したいエネルギーはどんなものでしょうか
波長ごとに吸収のパワー見える吸収スペクトルを見てみましょう
これは紫陽花の葉を例にした吸収スペクトルですが、緑色の波長を表す550ナノメートル付近が顕著に弱いのがわかると思います。
これは紫陽花の葉はほとんど緑色の光を吸収していないことを表します。
植物といったら緑を連想する方が多いと思います。僕らの目には実際緑に見えますし、
でも実際は植物は緑色の光が嫌いで吸収せずに反射しているために緑色に見えるんですねー、
光って不思議ですよね。
髪の毛の色も、肌の色も、お気に入りの家具の色もおんなじような光が当たっていて、どれだけその光を吸収するか、反射するかで決まる
まさに個性ですね
まだまだ書きたい内容が沢山あるのですが、ここまで読んだ人間が何人いることかと考えると
もうやめときます…
最後に、
目さえ良ければ誰もが光の下に生活し、色んな景色をみていると思います。
そんな毎日見る光景もこんな理由で必然的に現れてる景色なんです。ほぼ全てに理由があって沢山の色が目に飛んできているんです。
そんな物理の入り方を頭の片隅に置いておくだけで毎日のちょっとしたことが楽しくなる気がします。
明日はどんな天気でしょうか、楽しみです
では
お久しぶりです。
お久しぶりです。j_com_ondemandです。
かれこれ4年前くらいにブログを始めて、気付いた時にはやめていました。
先ほど見返して我ながら良い文書いてんなって自画自賛してからアーカイブしました。
僕がなぜ、またブログを書こうと思ったか
身の回りで「死」について考えるような出来事が立て続けに起こったからです
僕が今の会社に入社して2ヶ月ほど経った頃、営業の同期にこう言われたました
「〇〇さん、死にたいって思ったことある?OJTに言われたんだけどさ、なくない?そんな過酷なんかなあ」
僕はその時、同期と同じように死にたいって思う事は無いなあ、営業大変そうだなあーとしか思いませんでした
時は過ぎ2022年7月8日、その頃僕は仕事の都合で半年間静岡県の牧之原市に住んでいました。初めての一人暮らし、全部がよく分からずテレビなんか全く見ません。いつもiPhoneで情報収集。いつもと同じように
そんな僕の中では変わらない日常ですが、この日安倍総理が銃撃されました
もちろん会ったこともないし、特別応援していたわけでも無いけど
そのニュースを見て吐き気と医療に対する怒りを覚えたのを今でも覚えてます。真相については特に興味はありません。
ただ人間の手で、よく分からん銃で人間を撃って、人間が必死に命を繋ごうとして、叶わずに助けられませんでしたという会見を開く構図を見て、
銃弾に撃ち抜かれた傷を治すための勉強ってなんなんだ、必死に勉強してきた人間をこうも無力に思わせるのか、
同じ人間なのに撃つ人間、撃たれる人間、治す人間、なんなんだろう
事件の深いとこは知らないけど、真面目にやってきたことってなんだろう、人が人によってこの世の中から無くなるってなんだろうって考えました
2022年9月23日、静岡県に台風15号がきて町は洪水、土砂崩れ、断水、多大なる被害が出ました。
僕の家の近くに大井川鐵道っていうSLが走る線路があるのですが、その電線まで土砂が到達
母方の祖母が清水に今も住んでいて、その地域は当時1週間ほど断水していたので土日に水を届けに祖母の家まで行きました。
インターフォンを押し、いつもの様に祖母が出てきました。何か違和感を感じました。何かがおかしい、
目が黄色い
詳しく聞けば体重が減ってる、皮膚がなんとなく痒い、皮膚も黄色い
すぐに病院行かせようと祖母にすぐに病院へ行こう、きっとなんてことないよと言いました。
祖母に病院行くくらいなら死ぬと言われました。黄色いのももちろん祖母自身は知っていました。
母親には言うなって言われました。
けどとにかく死んでほしくないし、本人はまだ死というものについて深く考えられていない、祖母は周りに迷惑かけたくないとしか思っていないんだ、死にたいって本気で思ってるわけないって勝手に考えました
すぐに母親に連絡して次の日無理やり病院連れてってもらいました。
癌が見つかりました。すぐに手術しないと半年も生きれないと言われました、すぐに外科手術をして取れるだけ取って貰いました。
祖母から電話ですっかり体調良くなったし病院行って良かったと言われました。
しかし数日後、容体が悪くなり医者から癌が転移してたと聞きました。きっと全ての癌を見つけられなかったのでしょう。
もう年齢的に外科的な治療はできない、抗がん剤治療をできる限り続けましょう。
僕は直接見ていませんが、副作用に苦しむ祖母が容易に想像できます。
祖母はコロナで検診に行けてなかったのが悪い、もっと早く行ってればと言ってるけど無理矢理病院行かせて治療に向き合わせたのは僕です。
でもあの時は素人の僕がいくらか考えるより医者に見せるのがベストって思ったし間違ってはなかったと思ってます。一般人の出来ることはしたと思ってます。でも、祖母は死にたいって思ってるかもしれない。救われたくない命があるのかもって思いました。
年は明けて2023年、仕事は嫌いではありませんが流石に正月明けは体が重く仕事行きたくねえなーなんて思いながら、しっかり決まった時間に起きて会社に向かう自分がいました。
2月に新入社員研修があります。
その説明なのか、研修の2週間ほど前に集められました。
内容は同期の方が亡くなりました。自殺です。1月4日に会社に来ず所長が見に行くと自宅で倒れてました。と告げられました
入社して最初の研修の1ヶ月しか会っていませんが、その期間僕はその方とよく話しました。すごく良い人でした。ラップ好きで、夏バーベキューの幹事やるんでみんなで行きましょうよ なんて言ってくれる様な人でした。
でも真面目で、勤勉で、考え込む様なタイプにも時折見えました。
詳しいことは言えませんが、憤りを感じる事、もし仕事が原因なんだったらなんで辞めなかったんだよ、誰でも良いからなんか言ってくれれば良かったのになんでだよって思いました
でも誰かに相談できてたら自殺は選ばないよな
その視野が狭くなって何もかもがわからなくなる感覚がなんとなく、ほんの少しだけどこかで感じたかがある気がしました。
僕は何事も中途半端にやる事は大っ嫌いで、逃げるやつは恥、最後までやりきれ。そうやって生きてきたつもりです。
でもこの時はなんで逃げなかったんだよって思ったし、わかんなくなるとあるよなって思いました
ウクライナではまだロシアとの戦争が続いています。毎日の様に生きたいと思う人間が死んでいます。
この世の中には生きたいと思う人と死にたいと思う人がいて
そして、生きるか死ぬかの選択をする人がいるということがわかりました。
僕の好きな言葉に、「生きてく上での選択はその時の自分が一生懸命悩んで出した答えだから案外いい線行ってんだ」ってのがあります。
僕は結構この言葉を信じていて、あの時こうすればなって思うこともあるけど、一応当時の自分がめちゃくちゃ考えた結果の決断だから、それでいてミスする事はもちろんあるけど修正が効く気がしています。
でも
誰かに迷惑をかけないため、はたまた生きてても意味を見出せなくなったから、もしくは迷惑をかけたいから
考えて考えて、その結果死ぬ決断をしたとする
これだけは修正効かない
辛いのも苦しいのも生きてれば出てくるけど、そういう時は逃げて良いし、生き方次第では壁越える必要もないし、
例え頼れる人がいなくても、テレビ見たら、YouTube見たら、嫌なやつから隠れていればいつか良い方向に転がってくんじゃないかなって思う
心の中ではこんな事誰でもわかってるけどね
冒頭にも書きましたが、僕が死にたいって思ったとかそう会う話ではありません
でも身近な人の死を通して、死について考え
視野がガクっと狭くなって何が何だかわからなくなって、死ねば明日は来ないと思う気持ちが少しだけわかりました
やってたことが馬鹿馬鹿しくなることもあるし、もうどうでも良くなる事もあるし、考えられらにほどに辛い事、1人で生きていくには到底難しい状況に置かれる事もあるけど
人生はどのみち一度きり
僕はまだまだ先を見たいです。また、まだ楽しいことが起こる人生を終わらせてしまうような選択が少なくとも僕の周りでは起きてほしくない
これが主題です。
最後になりましたが、故人のご冥福をお祈りします。